須藤凛々花&堀内進之介の『人生を危険にさらせ!』を読んだ!


『人生を危険にさらせ!』(幻冬舎HP)

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この本は…
「哲学者になる!」と言いながらなぜかNMB48に入ってきた須藤さん(りりぽん)の”哲学本”シリーズ処女作。です!おめでとうございますっ
発売から1年経ち文庫化された良きタイミングなので感想です。

まず私は哲学の本読むのは初めてで、理解できないことを覚悟しつつ読み始めたのですが、『人生を危険にさらせ!』に関しては説明が分かりやすく、辞書を用意せずとも読めば分かるように作ってくれていた点、ありがたや!でした。
構成は先生役の堀内氏と生徒役のりりぽんの対話(講義)を基にしたメインの「対話篇」と、りりぽんのコラムが付いてます。
「対話篇」にした理由は堀内氏の前書きの中(P17-)で行を割いて説明していますが、読む側としては哲学的なやりとりを目撃しつつ読む感覚で、しかも”勉強のために学ぶ学校の哲学”とは真逆の方向性、”日常的に考えることの中に含まれている哲学”から学べるのがかなり理解の助けになりました。会話自体も楽しい内容なのもありがたや!です。
コラムはりりぽんのパーソナリティがより表れているパートで、幼い頃の話から最近のことまで書いてました。

内容に触れていくと…
「哲学」とはどんな学問なのか、というところから始まりましたが、これは語源のphilosophiaを直訳すると「愛知」という意味になるらしいです。”知”を”愛する”(求める)人が哲学者なのだという説明があります。
なので「生きるとは何か」、「愛するとは何か」…と各テーマに沿って正しい”知”を求めてりりぽんと堀内氏が問題提起と回答を提示しながら講義が進められて行きます。そしてそうやって追求していく行為自体哲学なのだということです。

テーマは身近ものですが、哲学者が求める知識とは普段我々が求めている知識とは少し違うようで、そのことについてはりりぽんが
本書が反社会的で、反時代的でもあるかもしれないのは、そういった漠然とした不安を鎮める役には立たないだろうと思うからなのだ。それどころか、本書の隠れた狙いはむしろ、そうした不安をいっそう呼び覚まそうとすることにある。ふふふ。
と前書きに記してある箇所が印象に残りました。
つまり哲学とは必ずしも共感できる心のセラピー的なものではなくて、自分にとって都合の悪い事にもメスを入れていくストイックな行為、ということだと思います。
これはりりぽんの強く主張している部分だと思いますし、本の中でりりぽんが語る「こうでありたい」「こうであって欲しい」という理想と、堀内氏に提示される別方向の解釈の間に生じる葛藤の姿は哲学の苦しみを体現しているんじゃないでしょうか。

「愛するということ」の章はりりぽんのアイドルの経験が一番活かされている章だと感じました。
あくまで本のための講義とは言え、アイドルりりぽんの実感が濃く込められているようで、おそらくファンの人が読んで特に印象に残りやすい章、読み応えのある章なのではないでしょうか。
愛というのは、他者が「持っている」その属性を好むことじゃない。そうじゃなくて、その他者が「存在していること」そのものを好ましく思い、「存在していてほしい」と思うことなんだ
というのはジャン=リュック・ナンシーさんの言葉ですが、須藤さんが強い同意を示した言葉で、
アイドルをしていると時には風当たりも強くて大変そうですが、特に傷つくのは自分の意思から離れた属性への批判や意見なのかもしれません。

「正義しいということ」~「大人になるということ」の章は議論を生みそうな章でした。
他の章と違い須藤さんと堀内先生が喧嘩を始めるドラマティックな展開になっています。
ここはぜひ読み深めるべき章だと思いますが、
「大人になるということ」の冒頭で
キミとホリウチが決裂したのは、それはそれとして重要な意味を持っている気がする。
とあるように、重要な意味のために決裂したと理解しながら読むと良さそうです。

ざっくりではありますが、印象に残った個所を挙げてみました!
私自身は学校の哲学の授業が退屈で全くハマらなかった人間ですが、
今回は身近な悩みと哲学が意外にもはっきりした接点を持っていたことが分かり、
りりぽんが今よりもっと若い時から哲学にハマった理由も分かったような気がします。
中高生は哲学を履修すべき!
そしてまた機会があれば書きたいという話をしていたのでそれも楽しみにしています!

1年前の発売記念イベントの様子↓