横山健がミュージックステーション出てるのを見た感想。

2015年7月10日テレビ朝日「ミュージックステーション」に横山健バンドが出演したことと、横山健の更新したコラムは個人的にもインパクトがあったものなので今さらですがブログかいておきます。(あくまでNMBファン目線ではありますが。)

披露した曲「I Won’t Turn Off Oy Radio」


雛壇でのタモリさんとのトーク部分
タモ「どうして地上波出ようと思ったんですか?」
横山「そうですね…ちょっと、バンドにもうちょっとこう…、若い子にバンドやってもらいたいなと思って。僕なんかがテレビでパフォーマンスしたらもしかしたら”あ、ギター弾くのってかっこいいな”と思えてもらったりとかそういうことあるのかなと思って」
タモ「バンドは一時期に比べて減ってるのかな?」
横山「そうですね…わかんないですけども、やっぱダンスとか歌とかに向かう子が凄く多い気がしますね。楽器は改めてかっこいいよってところを見てもらいたい」
という感じで、ツイッターの反応を見ていると、横山健が話してNMB48や三代目JSoulBrothersがカメラで抜かれたので”ロックの健さんがアイドルやダンスをこらしめた”と解釈した人もいたようですが、これは当然間違えた解釈だと思います。『横山健の別に危なくないコラム』でもその件について触れています。Mステにはダンスの道に進んだ出演者が出ていて、その人達と共演する。というかそのつもりで横山健が出てきている流れはブログを読めばある程度理解してもらえると思います。
  アイドル、アニメ、ジャニーズ、Exile…なぜロックが彼らに負けているか、単純に分かりやすいアイコンが、分かりやすい出方をしてないのだ。これでは若者や子ども達が「ロックで夢を見る」ことなどできるわけない。(横山健の別に危なくないコラム)
  でも「ロックそのものが小さくなってる」ことに、ある種の責任みたいなものを感じ始めた。もしかしたら自分がそれを再び大きくできるんじゃないか?できなかったとしても、するための行動はすべきなんじゃないか?それが自分にとってもやり甲斐があることであり、なおかつ役割なんじゃないだろうか?と考え始めた。(横山健の別に危なくないコラム)
テレビではNMB48は好きなので出てるときは見るのですが、そんな私ですらうんざりするほどのことはあります。昭和のヒットソング特集も苦手です。レコード会社が売り出してる殆どのアーティストを手に取ることはなくても、テレビに出てることは知ってます。好きなバンドは現場じゃないと観れない。そんなことしてるからスターが生まれず視聴率が下がり音楽番組もなくなるんだろうと思ってはいましたが、横山健の目線で言えば
・バンドがテレビ側だけの問題ではなく
・横山健という支持を得るバックボーンがあり
・それ相応の道筋があり
・意欲的に出ようと努力すれば出れないことはなかった
でもその意欲の部分から避けてきたバンドもあったろうということではないでしょうか。その結果戦わずして「アイドル、、、に負けた」という言葉にもなってるんじゃないかと思います。以前は同じメディアでも交わることもなく共存していたように見えたものが、危機感を滲ませる結果にもなったんじゃないかと思います。
 三代目 J Soul Brothers のメンバーも NMB48 のメンバーも、ロックに触れる機会はあったのだ。しかし、ダンスや歌、アイドルの道を選んだ。そして実際、いまでは彼らを目指す子ども達は多いだろう。(横山健の別に危なくないコラム)
 ロックンロールも、そうあらねば、そうであって欲しいのだ。
 オレがMステに出演させてもらって伝えたかったのは、その1点のみなのだ。(横山健の別に危なくないコラム)
バンドからダンスに進んだ例はNMB48の山本彩さんで、彼女が3ピース中学生バンドのメンバーだったこと、ただ本人達が辞めたくてそのバンドを解散したわけではないということを知っているアイドルファンの方は少なくないでしょう。横山健の言う「若い子はバンドかっこいいことを知らないからやろうとしない」という出演前の捉え方をみればそれは山本彩の例には当てはまらず、「ロックそのものが小さくなってる」の1つの現象として見ればその通りなんだと思います。若い世代・新規のファンにアピールしていく場所、若い世代がバンドを続けるための環境作り、を横山健が追い求めないと地盤からなくなってしまうという危機感を抱いてるように思います。

  バンドの演奏はかっこ良い、生歌の方が絶対的にかっこ良い、良い」面白いと思ったらそれなりのリアクションがあるのはメディアの反応ではなくお茶の間の反応で、AKB総選挙にしてもそれなりに面白いから好評を得たと思いますが、秋元康にしてもバンドのパフォーマンス程シンプルな見せ場を作れないジレンマを抱えているんじゃないでしょうか。AKBというのはそういうアーティストに無抵抗ではないですが、バンドにもAKBに出来ることが出来て然るべきと思うこともあります。横山健のように演者自ら音楽業界に対する高い意識をもっているのもバンドの特徴だと思います。大人は流されやすいですがバンドやってる本人たちはそこに命かけてると思うので…(残念ながらNMBの子もその点において意識は非常に低い)。なんとなく、今ならメディアががらりと変わるほどのインパクトが生まれてもよい気がします

  あの日のMステでは、よくもHi-STANDARDの横山健が出てきたな!と思いそんなことを考えました…

『横山健の別に危なくないコラム』
vol.89
「ミュージックステーション」
http://kenyokoyama.com/column/ken/vol89.html

ブログ
My girl 須藤凜々花 Mステ~雑誌にTVに新喜劇に感謝感激ありがたや~
http://ameblo.jp/nmb48/entry-12050189779.html

Google+、ツイッター


アニメ劇場版「進撃の巨人」、実写版「進撃の巨人」前篇 を見た!※ネタバレあり

今回見た映画はこれ

アニメ劇場版「進撃の巨人」後編~自由の翼~
http://shingeki.tv/movie/

実写版「進撃の巨人」前篇
http://www.shingeki-seyo.com/index.html




私としてはwikipediaでなんとなくストーリーを把握して観に行ったので、大体様子は掴めたと思います!
アニメ劇場版の方は大体ストーリーの通りだと思うので、予め知っておかない方が楽しめたでしょうか。


実写版は特撮の視覚的な楽しさに尽きると思います。
ストーリー的には把握していたストーリーとは異なる点があり、そうでなくともいくつか腑に落ちない点もありました。
町でぶつかった人の伏線、人形の伏線、ポテトサラダの食べ方などなど、あれは伏線だったのだろうかという点は分からずじまいです。
「夜明けまでに!」と出征した調査隊が早く爆薬をつみこまなきゃならない場面でセックスシーンに至るまでの悠長な時間いい加減にしろよ!と思いました。
ピエール瀧の登場と石原さとみさんの「明らかに!」の発音が笑ってしまいました。
また、実写版にはシキシマ隊長という人物が出てきますが、「敷島隊 - wikipedia」というのはレイテ沖海戦で初めてゼロ式で神風飛行隊として戦死した部隊の1つとのことです。太平洋戦争の重要な局面であるため名前を聞いてもしかしたらと思う方も多いんじゃないでしょうか。勿論関係性はないものと思われます。
物語としてはその爆弾を積むシーンで停滞した印象なので前篇にするにしても区切りが悪い感じがしました。スタッフロールの場面で次回予告を挟むあたり1本の映画をみたというより連続ドラマを見た感じです。
ただ、色々思いながら見たという意味で楽しめました。

そして視覚的な楽しさという話に戻ると…
序盤の街が襲われるシーンの充実度は「ターミネータージェネシス」の比じゃなかった!
人が襲われるシーンは残虐でPG12で大丈夫かという恐怖感。
巨人ものっぺりしたぬいぐるみではなく不摂生そうな生身の巨人。あれをみると浦安鉄筋家族の春巻を思い出します。
股間には多分何もついていませんでした。石原さとみさんも「生殖器は無い!」と言い切っています。
特撮ものでも大魔神と武器人間を見事に両立させたような印象です。
「映画版るろうに剣心」の殺陣もすごいと思いましたが、怪獣が出てきてもこれだけのものが出来るのかと言う迫力の凄さはこれはアニメでもCG映画でもなくいつか見た特撮映画の発展形なんだ!という認識に至り、今ならゴジラと戦うのにも戦闘機ではなく人間が武器を持って戦うことも可能なんじゃないかと思いました。

後篇は戦闘シーンが更に凄まじいものになるのか、ストーリー的に面白くなってくるのか楽しみです。